結びの言葉に「さよなら」は書けない

いいブログの説明が思いつかない

気付いたら学校図書館に人生の半分以上を捧げていた

この記事はklis雑に愛を叫ぶAdvent Calendar 2018 25日目の記事です。

adventar.org

 

朝起きたら枕元に単位はありませんでした。サンタさんは子どもにプレゼントを届けるのに忙しいらしくて私には単位を届けてくれないらしく、自力で単位をつかみ取るしかないらしいです。

 

こんにちは。klis16のぜろななです。

 

僭越ながら雑アドラストを飾らせていただきます。なんかわからんけど誰かが私のことをklis16をシメてる人と将軍に紹介したらしくて、将軍公認のklis16シメてる人らしいのでノリでラストに登録させていただきました。いえ~い将軍見てるぅ!?

 

内容については色々考えたんですけど、こないだ研究室の歓迎会でなんで学校図書館がすきなのかうまく説明できなくて、一回現時点での気持ちをまとめておこうと思い学校図書館への愛を叫ばせてもらおうかなと思います。

 

私のことずっとしっかりとした気持ちで学校図書館に向き合ってるみたいに思ってる人も多そうなんですが、実は学校図書館への愛もいろいろ紆余曲折していて、そのへんも書いていこうかなと思います。あんまり役に立つ記事ではありませんが許してください。

 

学校図書館と出会ったころ

学校図書館と出会ったのは小学生です。まあそれ以前は学校に通っていないので当たり前ですね。

 

とはいっても小学校2年生くらいまではまあ人並みにしか学校図書館を利用してなくて、当時はこんなに学校図書館のことを長く考えることになるとは考えなかったんじゃないかなと思います。

 

学校図書館通いが始まったのは小学校3年生になったときに仲良くなった子が本が好きで、その子に影響されて本って面白いなと漠然と思うようになってからです。この頃は図書館というより普通に本が好きでいろいろ読んでました。一応小学校5年生と6年生のときは図書委員とかもやってました。

 

人間関係が怪しかったころ

小学校を卒業して、中高一貫校に入学して、人間関係が怪しくなりました。詳細は割愛します。去年の本家klis advent calendarの記事でちょっと触れたりしていた気もします。

 

まあそんな感じでも本はずっと好きだったのでよく学校図書館に行っていました。休み時間とかずっと学校図書館にいた時期もあったし、無理になると学校図書館にいるべきじゃない時間に学校図書館に行って本を読んだりしていました。気付いたら本とか関係なく学校図書館にいました。

 

そんな感じでずっと学校図書館にいるうちに図書館というものに興味を持ち、なんか学校で配られた進路の冊子の学問一覧みたいなページで図書館情報学を見つけたのが中学二年生。あっこれいいやんと思って図書館情報学をやっている中で一番よさげだった筑波大学行こうと思ったのも中学二年生です。それからずっと図書館への興味は薄れることがなかったのでずっと筑波大学を志望していました。筑波大学情報学群知識情報・図書館学類への愛も深いですね!(ほんまか?)

 

klisを受験したころ

そんな感じで学校を休みがちになったり学校図書館に通ったりしながら高校三年生になって受験をして合格しなければ筑波大学には入れない感じになりました。ところがびっくりこんなにずっと筑波大学に来たかったのにアホだったんですね。このままでは筑波大学に入れませんという成績でした。

 

ちょっと話が逸れますがと成績は学校にあんまり行かなかった中学三年生で底まで落ちて高校一年から少しずつがんばっていたんですが、間に合いませんでした。 

 

全国の中学生高校生(大学生も?)へ。学校に行かず、かといって自分で自主的に勉強するとかもしないで一年くらい過ごすとな、成績は落ちるんやで。その落ちた成績はな、相当勉強しないと取り戻せないんやで。別に無理して学校に来いとは思わんがな、落ちた成績は自分で責任取るんやで。

 

というわけで、高校二年生くらいのときにAC入試と推薦入試の存在を知っていたのでこういう裏口入試を活用してどうにか筑波大学に入れないかと画策します。AC入試は、受けようと思ったのですがアホすぎて「夏休みをAC入試に捧げて落ちたら君の成績だと行く大学ないけど、どう?」みたいなことを先生から言われて、浪人するつもりがなかったのでせやな…と思い受けるのをやめました。夏休みは少しでもklisのボーダーに近づけるため、かつ行ける大学を作るために毎日10時間以上は勉強(したけど河合記述模試でD判定くらいにしかならなかったのでやっぱりアホだと思う)、夏休み明けから推薦入試の準備を真剣に始めました。

 

というわけで推薦を受けるために推薦の志望理由書を書かなきゃならなかったのですが、当時の私は学校図書館を好きな理由がふわふわしすぎて上手く志望理由書が書けませんでした。というか、今考えると学校図書館が好きだった本当の理由は人間関係が上手くいかない逃げ道9割なんとなく本が好きが1割だったんですけど、自分の人間関係が上手くいっていないことを高校生の私はまだ認められなくて9割を消したら無になりました。いやなんとなく本が好き1割を膨らませたところで受からないから…。

 

幸い私の学校には強い進路指導の先生がいたので志望理由書の初稿を持って行ったところ、「このままだと受からないと思うけど、この内容を頑張って受かる内容にするのと、さくっと受かりそうな内容に変えるのどっちがいい?」と聞かれ、「ふえ~ん頭が悪くて一般入試は無理そうだし後がないのでなんでもいいから受からせてください…!」という気持ちになり私は後者を選びました。今もふわっとなら初稿で書いた内容を思い出せるのですが、知識情報・図書館学類3年生として考えると先生の言う通り初稿の内容では受からないと思います。

 

そういう事情で先生の指導に従って今考えていることとは全く違う学校図書館へのアプローチをずっと当時は勉強していました。もともと頭の中の学校図書館好きな気持ちがふわふわしてたので、勉強しているうちにこういうアプローチも面白いなと思って割と当時は先生が提案してくれたアイディアが自分の考えになりました。そしてなんとか推薦入試で合格し、klisに入学できることになります。本当にこの先生には頭が上がりません。

 

ちなみに簡単に言うと当時は学校図書館における資料の言語と教育みたいな話を勉強してました。例えば、あらゆる人が世界の知識にアクセスするためには世界の資料を英語に統一して英語教育をするべきだけど、日本でも英語を使うようにすると日本語特有の表現による知識が消えてしまう可能性があることとか、日本の昔の文字で「くずし字」というものがあるけどここに書かれている知識は日本人でもほんの一部の人しか得ることが出来なくて、膨大な知識がほとんどの人には得られないものになっているのはもったいないから和文リテラシー的なものを教育においても教えていく必要があるのかとか。そういう言語リテラシー的な側面の教育をどうしていくか学校図書館を通して考えるみたいな感じだったかと思います。

 

今考えるとあんまり学校図書館っぽくはないけどklisっぽいテーマではあるかなと思うし、このテーマはこのテーマで(難しそうだけど)面白いなと思います。

 

知識情報・図書館学類生のころ

というわけで入学したのですが、悪い言い方をすると入学のためにでっち上げたテーマだったので途中で興味が薄れました。しかもklisはたぶん1年次の秋学期の授業が法律哲学システム数学プログラミングという感じで、図書館好きで入ってきた人にとっては何が図書館に関係あるんだ…?みたいな無の顔になる時期だと思われますね。私も無の顔つきしていました。そんな感じで無を過ごしているうちに図書館の何が好きだったのかこのへんで私は一回なにもわからなくなりました。

 

それでも大学生活は中学高校時代に比べてめちゃめちゃお友達が増え(当社比)結構楽しかったです。終わっちゃったみたいになったけど、今も楽しいです。

 

そして全然経緯を思い出せないんですが、たぶん二年生の秋くらいに「私は居場所が欲しかったから学校図書館が好きだったんだ」ということに唐突に気づきました。大学二年生の秋になってやっと、自分が人間関係を上手くやれない不器用な人間だったことについても認められるようになりました。

 

心の居場所としての学校図書館

小学校中学校高校らへんは大学と比較してかなりコミュニティが外部から勝手に設定されます。要するに1年1組になったら1年1組のコミュニティでどうにか学校生活の大半を過ごさなければならないってことですね。1年1組になったときに、1年1組に気が合う人がいなくても強制的に大半の学校生活を過ごさなければならないのは、やっぱりしんどいなあと今でも思います。

 

私は中学2年のときに1年の頃同じクラスだった子がほとんどいないクラスにぶち込まれ、なんか上手くいかなくて病んで、それでも「学校に行かないとヤバい」みたいな謎の強迫観念により無理やり毎日学校に行き、3年生は2年生よりは悪くないクラスだったんですが2年生まで頑張ってきた糸が切れてしまって急に学校を休みがちになりました。

 

そういう感じで不安定な気持ちを気づいたらずっと支えてくれていたのが学校図書館だったんだと思います。学校の中なのにコミュニティを固定されることなく、学校司書さんはもちろん、クラスも学年も全然違う学校図書館の常連さん、授業だと1対多だから全然お話しできないけどときどき学校図書館にふらっときて適当に雑談してくれる先生、そういう流動的で、でもいつ来ても私を否定せずに受け入れてくれるそういう学校図書館が好きでした。一人になりたいときでもふらっと来て隅っこの方の誰の目に入らないような席でお気に入りの小説を何度も読んで心を落ち着かせる、そういう時間も好きでした。

 

クラスは自分ではどうにもできない、部活も自分で選んでいるとはいえやっぱりわりと固定的なコミュニティで上手くいかなかったらやめてもいいけどそれは根本的に居場所が出来るという解決にはつながらない、保健室とかカウンセリングとかはいかにも病んでる感が出てしまって私みたいな自分を認められない斜に構えオタクは行けない、みたいな感じでいつだれがいても別にそんなに不思議じゃない学校図書館は学校の中で最高ですねという話でした。学校図書館ってほかにもいろんな役割があるし、そういうこともしっかり勉強していかないといけないと思うけど、私にとって学校図書館の一番大切な部分はこの部分です。

 

たぶん高校までの学校って(もちろん行ってない人が悪いというわけではないんだけど)世論としてまだまだ行った方が良いとされているもので、外部から固定されたクラスというコミュニティで上手くいってなくても無理して学校に行く子もたぶん少なくなくて、そういうのがつらいなと思うので、今は司書教諭あるいは学校司書という立場で学校図書館担当者としての役割をきちんとこなしつつ、児童生徒の心の居場所とされるようなコミュニティ構築のお手伝いがしたいなと今は思っています。どうせ学校に行かなきゃならないなら、少しでも心がしんどくない学校生活を送って欲しいなと思います。

 

おわりに

たぶんこういうことに気付けたのは、大学に来てから仲良くしてくれるみなさんがいて、人間関係が自分の中で落ち着いて、上手くいかなかった中学高校時代の自分のことを認められるようになったおかげだと思います。

 

klis16をはじめとして、大学に来てから私と仲良くしてくださっているみなさん、そしてこんなクソ長いブログを最後まで読んでくださったみなさんに心から感謝を。

 

そして今年も雑アドを企画してくれたまきいしさんありがとうございました。

 

メリークリスマス!