結びの言葉に「さよなら」は書けない

いいブログの説明が思いつかない

学校は来なくてもいいけどそのままどこかに消えないでほしい

この記事はklisアドベントカレンダー19日目の記事です。

adventar.org

 

こんにちは。klis16のぜろなな(@seventy219)です。

このadvent calendarの読者の方々には誰だよって思う人も多いんじゃないかなと思ったんですが特筆すべき自己紹介が思いつきませんでした。しいて言えばklis16です。

 

丁度2か月後の2月19日が20歳の誕生日なので10代最後の2か月なのでどうするか書こうと思ったのですが面白くなくなりそうだったのでやめました。伝統あるklis advent calendarで学校に行くか行かないかの話を踏まえ意味わからん自分語りをします。でもこれも面白くない気がするのでごめんなさい。意見合わねえなと思ったら読み流してください。2か月後は祝いの言葉と誕生日プレゼントと飲酒案件待ってます。

 

軽率に学校に行かない日を作ると無限に行けなくなる

私は大学に来てからいわゆるサボりで授業に行かなかったことは去年の今頃プロ演で精神を病んで1,2限終わったあと宿舎一回戻ったら涙が止まらなくなって第二外国語に行かなかったやつを除けばたぶん一度もありません。(好きなアーティストのライブとかで休んだことはあるのでこのサボりは「別に体調が悪いわけでもないし用事もないし学校行けるけどなんとなく行きたくないから行かない」を指します)

ぶっちゃけ大学の授業は正直全部でなくても欠席上限超えないように上手くやってにテストとかレポートとかで上手いこと成績取れれば単位は来るんじゃないかなと思います。卒業もできるんじゃないですかね。なんなら出席取ってない授業は一回も行かなくても最後のテストさえできれば単位来るみたいなのもありそうですよね。

それでも私が休まずに学校に来る理由は真面目とか授業料がもったいないとかそういうものじゃなくてこの見出しの通りです。軽率に学校に行かない日を作るとその日だけじゃなくてその次の日もそのまた次の日も行けなくなります。

 

学校に行けない人だった話

時は中学2年ぐらいに遡ります。中1ぐらいの頃はそこそこ友達がいた(はず)なのですが中2でクラス替えしたらびっくりするほどクラスの女の子とそりが合わなくて案の定クラスでぼっちになります。この頃が一番精神的に病んでたんですが中2はまだえらい子だったので無理やり休まず学校に行っていました。

中3になるとクラスが中2と比べるとだいぶ過ごしやすくなりました。ここまでだとなんかハッピーエンドみたいなんですが、何を思ったか中3の私は頑張ることをやめてやたら学校を休み始めます。たぶん緊張が解けてしまって中2で頑張ってた分の清算をはじめたんですね。とはいえ30日ぐらいしか休んでないし遅刻も20日はたしか超えてないし不登校じゃなくてちょっとだけ普通より学校にいかない子だっただけだよ!というかこの程度で不登校とか行ったら本当に学校に来てなかった人に失礼でしょ!(?)と思っていたのですが、教職関連の授業で30日以上欠席してると不登校らしいと聞きました。ほぼ不登校だった。ちなみに中高一貫校だったのですが学期末ぐらいに各授業の出席日数とかがやばかったのか「明日休んだら高校上げられないよ」という旨の電話が来たこととかあります。まさかの高校浪人の危機でした。

ほんとはこんなに休むつもりはなくてちょっとなんとなく気持ちが乗らないから今日は学校行かなくていいかな~明日から行こうかな~みたいなノリだったんですけど、これやると別に2日休んでも3日休んでも変わんなくね?みたいな気持ちになります。たぶんこれ筑波大生でも体験してる人いるんじゃないですかね。そんなことが積もり積もるとあっという間に欠席30日になります。うける(うけない)

 

学校に行く人になった話

高校も1年のときは10日ぐらいはサボってた気がするのですが高2からはたぶんもうサボってないし今も学校に行けてるので学校に行く人になれたということにして話を進めます。学校に行くようになったのは中2ぐらいからklisが第一志望で、でも馬鹿だったので筑波に推薦で合格したかったから欠席が多いとマズイという建前(?)の理由があるのですが、たぶんもう一つの理由の方が学校に行くようになった要因として大きいんじゃないかなと今振り返ると思います。もう一つの理由は同じぐらい学校休んでる人種に複数人出会って仲良くなったことです。仲良くなると学校で会いたいよね。でも中3の私と同じ人種だから軽率に学校休むんだよね。だから「学校来いよw」ってメールとかをしてたんですがこれ自分が学校来ないと特大ブーメラン過ぎるんですよね。だから学校行くようになりました。

それでもまあ10日ぐらいは休んでるわけなんですけどそうするとブーメランで「学校来いw」みたいなメールが来るわけですね。で、そのときの私は学校来いって言われたらまあ行けるぐらいは回復してたので1日休んだらそのまま1週間休むみたいなループからは脱しました。

そしてそんなかんじの生活を1年してたらなんとなく学校に来れるようになりました。めでたしめでたし。

 

学校に行かなかった期間を振り返って

正直私は中3ぐらいの頃学校行かなかった期間があったことは正解だったし必要な時間だったんじゃないかと思ってます。親とかにはアレコレ言われたんですがそれでも行かない(行けない)ぐらい無理だったし。無理なもんは無理だしあのとき無理やり学校行ってても厳しい気持ちが清算できずにどこかしらの時期に爆発してガチ不登校になってたorいまだに悶々としたままの生活を続けていた気がします。

19歳で何悟ってんだって話なんですが人生は辛いので休息が必要です。この行かなかった期間に対しては必要な休息期間だったと誰に何と言われようと個人的には思っているし、それは人によってくる時期違うからまあ別に大学に来なくなっても休学してもそのときその人に休む時間が必要ならそれが正しいと思います。なんやかんや私も不登校の定義的にはほぼ不登校らしいことを経験しながら今普通に筑波大生やれてるし、人生は休んでもなんとかなります。(上から目線みたいになってしまいましたが決してそんなつもりはないですごめんなさい)

でも今は多少厳しい気持ちになることはあっても当時ほど学校にいけない!!!!!!!ってかんじではないから今休むことは必要な休息期間ではないと思ってるし、でも私が一度行かなくなると完全に来なくなる未来が見えるので今の私は大学に休まず来てます。

 

でもみんなには学校に来てほしい

まあこんなかんじで学校には行かなくていい(行かない期間があってもいい)という結論に至るわけですが、基本的に他者に対しては学校来てほしいと言ってます。

高校時代複数人サボり癖持ち仲間だった人はいたのですが、そのうちの一人の後輩が結局学校をやめました。そして今はどうしてるのかわかりません。この後輩にとっては必要な休息期間で、その期間が少しだけ私より多かっただけなのかもしれないですが、それでも私は自己中なのでこの後輩のことを思い出すと当時心に刺さったトゲが今も少しだけ傷むような気がします。

この話で何を言いたかったかというと、(つながりがいまいち出せませんでしたが)きっと誰にでもあなたのことを必要としてる人はいるんじゃないかなということです。私は聖人じゃないので嫌いな人ぐらいもちろんいるし見たくもねえから学校にも来てほしくないとか思う人もいたりいなかったりするかもしれません。でも私が嫌いな人でももしかしたら誰かが待ってる人なのかもしれないし、その人が消えることで心にトゲを抱える人もいるんじゃないかなと思います。

でも意外と1日学校に行けなくなるとずっと行けなくなるし、それがエスカレートすると一生来なくなる気がするし、そしてそうなったときに運よく私みたいになにか学校に行けるようになるきっかけが掴めるかどうかわかりません。だから私とかに学校来いwと言われても行かない(行けない)という強い意志があるレベルに達しない人には学校に来て欲しいです。そしてもしも休息期間に入っても、いつか待っててくれてる人がいるところに戻ってきてくれたら嬉しい、なんて、厨二病っぽくなってきそうなので雑にGANTZのそれっぽい名言投下して終わりにします。

 

「待ってる人がいるんだ。だったら一緒に生きて帰ろう」*1

 

*1:佐藤信介(監督),  2011, 『GANTZ』(脚本: 渡辺雄介東宝.